「SDGsの走りだと思っている」
そう秋元義彦社長が言うように、「救缶鳥プロジェクト」はすでに10年以上前から世界中の被災地や貧困地域においしさそのままのパンを届けると同時に、ゴミ削減問題にも貢献してきた。最近ではウクライナ支援の活動も積極的に取り組む。
このプロジェクトの始まりは、パン職人としてのじくじたる思いだった。ある時、得意先から新たなパンの缶詰の購入希望とともに、購入済みパンの缶詰の廃棄を依頼されたのだ。
「パン屋であれば誰でもそうだと思いますが、自分が作ったパンを食べてほしい。ところが、防災食品は違います。食べない方がいいパンなんです。せっかく買っていただいても賞味期限が過ぎれば捨てる。それは安心・安全を買う保険と同じようなものですが、パン職人としては悔しいことでした」
それはそうだろう。何しろパンの缶詰は、秋元社長夫妻が「5番目の子ども」と言うほど思い入れのある、大切なパンだ。
「保存の効くパンがないなら作ってよ!」
パンの缶詰は、阪神淡路大震災で被災者から言われたそんな一言から始まった。だが、「日本人はパンにしっとり感や甘さを求める。そうしたおいしさと保存性はまるっきり逆のもの。最終的には、二律背反することを1つの缶の中で完成させるのですが、パン屋さんの常識ではなく、パン屋さんの非常識をやらなければいけないというチャレンジでした」
完成まで1年半。何度失敗を繰り返しても秋元社長が開発を諦めなかったのは、「飛行機乗り」でキリスト者だった父親の考え方に影響を受けてきたことが大きいと言う。
「空を飛んでる人は上からモノを見ているからか、違う見方ができる。何かにつまずいたときに無理だと言うのではなく、どうしたらこの壁を乗り越えられるのかと高みから見たり、角度を変えて見たり。あるいは協力者を得たり。そういうことを教えられていたような気がします」
父親は乗務員として搭乗した飛行機の墜落事故で九死に一生を得たことで、「死の中から生き返ったイエス・キリストが自分を守ってくれたんだ」とよく話してくれた。
「生かされたのはなぜか。それは自分にミッションが残っているからだと。父は(パンの缶詰の)開発当時、病院で療養生活をしていましたが、私のチャレンジを応援してくれました。私自身のミッションは、パンの缶詰を作って多くの人に食べてもらうこと。父の励ましが、私が諦めずに済んだ1つの大きな理由です」
クリスチャン一家で育った秋元社長にも、キリスト者としての使命が生きている。
話は冒頭の救缶鳥に戻る。神は試練とともに脱出の道を備えてくださると言うが、「私たちの作ったパンが捨てられる前に、食べてもらえる国や地域はないだろうか」というパン職人としてのジレンマも、父の代から接点のあった日本国際飢餓対策機構に相談したところから解決の道が開かれていく。試しに名古屋で無料配布した“中古”のパンは豊かになった日本では受け入れられずに失敗した。だが、秋元社長は「ならば国内ではなく海外展開しよう」と方向転換を決める。
実は、秋元社長には大学生の頃に米国を始め、宣教師とともにアジア各地を訪ね歩いた経験があった。そこで見たのは、食べるものもろくにない路上生活者やストリートチルドレンの姿。パン屋である実家にはパンは山ほどあるのに、何もできない自分が歯痒かった。そういう体験があったからこそ、
「パンの缶詰ができた時に、うまく利用しようと思いました。死にかけている子供たちがいるところにタイムリーに届けたら喜ばれるに違いない。パンを食べる子どもたちの笑顔が見たい。それが『救缶鳥プロジェクト』の原点になっています」
早速、パンの缶詰の購入先に「賞味期限が切れる前に寄付してください」とお願いしてみたが、寄付はなかなか集まらない。3年保存できるパンを賞味期限の切れる半年前に集めようとしたのだから、ある意味当然だった。そこで浮かんだのが、「下取りシステム」というアイデアだ。
「新車を買うときは乗っている車を下取りするよねという発想から、パンの缶詰も下取りして回収しようと思いました。そうすればまだ食べられるパンを貧困地域に送れ、さらに新たに購入していただける。まさに一石二鳥でした」
こうして始まった救缶鳥プロジェクトは現在、約20カ国、約40万缶以上が送られている。また、2011年の東日本大震災を機に、必要物資を全国各地の指定倉庫で普段から備蓄・管理し、有事の時に被災地に近い場所から配送するという新しい支援の流れや仕組みを作るなど、パン・アキモトではさまざまな社会貢献事業が起こされている。秋元社長は企業の社会貢献についてこう語る。
「パン屋にできることは限られています。大企業のようにCSRをやろう、植林しようなんてことはできません。私たちはパン屋の本業を通して、社会に対してお返しができたらいい。東北の被災地支援やこども食堂の支援もその一環です。本業の周辺で見返りを求めない社会に対する継続的なお返し活動を行う。それが、社会貢献ビジネスなのではないかと考えています」
これが自分の使命だと信じたら、どんな困難が立ちはだかっても諦めないーー。父の言葉や、親しい宣教師からよく聞いたという「Don’t worry about tomorrow」という言葉を拠り所に、秋元社長は邁進する。
「明日って明るい日と書くじゃないですか。明るい日にできるかどうかは自分たち次第。ですが、神様がそれを用意してくれていると信じたら明るい明日が来ると思いますし、明るい未来になると思うんです」